批判の対象の言い方の機微

他力の信心かどうかは、心と口と身体の三業では分かりません。
特に言うことで、こんなことを本当に思っているのなら、他力の信心ではない
ということはあります。

確定はできないのですが、
言うことで判断するしかありません。

仏教を聞くようになった縁になった人は
同行の善知識とか、外護の善知識といいます。

親鸞聖人なら9才から29才まで比叡山で修行に打ち込まれました。
比叡山の天台宗は、仏教を聞く縁となったので、やはり善知識だったのでしょう。

仏縁を結ばれたしかも20年もおられました。
親鸞聖人、せつないお気持ちがあったと思います。

比叡山は、権力者と結託して、親鸞聖人を総攻撃をして、流刑にまで会わせました。
ところが親鸞聖人は、比叡山のことを直接は批判されていません。
天台宗も含まれる聖道門仏教を批判されています。

それにはやりきれないものがあったと思います。

比叡山からすれば、20年も世話になりながらわしらを攻撃するとは何事かと思います。
親鸞聖人も、法然上人も、比叡山を批判されないものの、
そっちもいいぞと勧められてはいません。
つらかったと思います。

当時の仏教をなで斬りにされましたが、直接書くのは気が引けた。

迷う人がいるから言ったほうが親切ではありますが、
そこが辛いところです。

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