聴聞できない時の心がけ

仏教聴聞に極まるのですが、
常に聞き続けられるわけではありません。
仏教が説かれる日程がない時もあります。

いたずらに すぐる月日は 多けれど
        法を求むる 時ぞ少なき

といわれています。
どうしても聞けない時はどうすればいいかというと、
朝晩の勤行が大事です。
勤行というのはおつとめともいいます。
五正行の実践になります。

お勤めは、正信偈と御文章を読んでいると覚えてきます。
また読書百遍意自ずから通ず
聴聞する時も、それらが頭に入って聞くと深く真剣に聴聞できます。

これは尊い仏縁ですが、朝晩のおつとめというのは、朝晩のほんの少しの時間です。
それ以外の時間のほうが圧倒的に長いので、
その間、仏教の根幹の因果の道理を聞いている人が
聞いていない人と同じ生活でいいでしようか。

末灯鈔で、
煩悩具足の身なればとて、心にまかせて、身にも為まじきことをも許し、口にも言うまじきことをも許し、意にも思うまじきことをも許して、いかにも心の儘にてあるべしと申しおうて候らんこそ、返す返す不便におぼえ候え。
といわれています。

どうせ煩悩の塊だからと開き直って、思うにまかせて、やってはならぬ振る舞いをし、言ってはならぬことを言い、思ってはならぬことを思っても、これは仕方のないこと、慎む必要はないのだ、と話し合っているようだが、はなはだ情けない限りである。
ということです。

煩悩具足の凡夫だからといってと言われているということは、
そういう人がたくさんいたということです。

また蓮如上人の御文には、
人間は老少不定と聞く時は、急ぎいかなる功徳・善根をも修しいかなる菩提涅槃をも願うべき事なり。
を勧められています。
しかし、無条件、五重の義
真宗十派、善を進めているのはない。
善を勧めるのは間違いといいます。

蓮如上人の五重の義、蓮如上人間違いという学者もいます。

蓮如上人は32畳から始められた。
それが全国に寺が7,6万に対して、その中で浄土真宗は2.2万寺です。

それは六波羅蜜の実践あればこそです。
寸暇を惜しんで実行する。

仏教は、一言でいうと廃悪修善です。
宿善がなければ善知識にあえません。
親鸞聖人が9才から29才まで比叡山で修行しておられましたが、
叡岳三千坊でも善知識はいなかったのです。

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