知っていることと分かっていることの違い

人は必ず死にます。
こう言うと、そんなこと当然じゃん。
知ってるよ。
という人があります。

しかし、知っていることと、
本当に分かっていることは違います。

本当によく知らされていれば、こういうことになる、
ということを教えてくれているものがある。
あなたは一休さん知ってますか?

一休にも子供のときがあった。
これは一休が周建と呼ばれていた子供のころ、
分かりにくいので今日は一休にしておきます。
7つか8つの頃だといわれています。
小学校の2年生の頃です。
かわいいころです。
あるとき、一休がある禅宗で勉強、修行していました。
お師匠様が、
「今日は用事で一日寺を空けるから
真面目に修行をしていなさいよ」
と出かけました。
そのとき、一休と同じく寺で勉学してた人が何人かありました。
「いってらっしゃいませ。
今日はおとなしく座禅を組みたいと思います」
お師匠様が道路から出て見えなくなると、
「おーさあ遊ぼうか」
と本堂へ行ってごっこしようかと遊び始めました。
当時はテレビゲームもネットゲームもありません。
鬼ごっこやかくれんぼ程度です。

ところがあるとき、一人抜け出した兄弟子がいました。
年が13才くらいです。
お師匠様の部屋に行き、もぐりこみました。
昔の家だから鍵はありません。
泥棒ではありません。

寺の大事な宝物としていた室町将軍から頂いた茶碗がありました。
今でいうと総理からもらった茶碗のようなものです。
そんな茶碗があるだけその寺には人が来るかもしれません。

住職のお師匠さまが「お前らには見せられん」と言っていた茶碗。
見ては行けないと言われると見たくなります。
部屋の角に棚があって、そこに見つけました。
でも手が届きません。

イスはないので何か踏み台になるものを使って下ろして、
箱を開けて茶碗が出てきました。
しかし茶碗の価値など分かりません。

片付けようとすると、
その時に踏み台がバランス崩れてがちゃん。
「あーーー!!!!」
ふろしき取って中身を見ると真っ二つになっていました。
接着剤はまだありません。
「わーん」
と泣き声が本堂まで聞こえてきました。
おいどうした!?
一休たちが駆けつけます。

「一休やってしもうたー」
「やったなー・・・」
「どうしよう」
「泣くな、僕が割ったことにしてやるから」
「太っ腹だな。ほんとか?」
「ありがたい、今度牡丹餅もらったらお前にやるから」
まだもらっていない牡丹餅を担保に入れます。

やがて夕方になると、お師匠様帰ってきました。
「おとなしくしていたか?」
「はい、今日は公案を練っていました」
公案とは、なぞなぞのようなもので、
これを考えながら座禅を組みます。
「どんな公案を?」
「はい、人の生死これ如何です」
「人の生死これ如何」とは、人の生と死について、死なない人もいるのか、という問題です。
「それが分からないのでお師匠様の帰りを、
首をキリンのようにして待っていました」
「なんだ、そんなことも分からないのか。
 なら教えてやろう、人は死なない人はいない。人は必ず死ぬ」
「それはどれだけ体、健康に気をつけていてもでしょうか」
「そうじゃ」
「いや、よく分かりまりた。
ということはそうした真理を悟った方は、
人が死んでもいたずらに泣き悲しんだりすることはないのでしょうかね」
「そうじゃ」
「いやすごい、お師匠様から教えて頂ける私たちは最高の幸せ者です」
と誉めちぎりました。
「午後は?」
「はい、物の生滅これ如何です」
「そうか、では分かったか?」
「いえ、これも分からないのでお師匠様が帰ったら教えていただこうと首を長くしてお待ちしていました」。
「では教えてやろう。どんなに大切にしていても生じたものは必ず滅する」
「どんなに大切にしていてもでしょうか?」
「そうじゃ、どんなに大切にしていてもじゃ」
「そうですか、なら、さとりを開かれた方は大切にしているものが壊れても、
いたずらに嘆き悲しむことはないのでしょうね」
「そうじゃ、どんなものも因縁が離れる時節が到来したら壊れる」

「そんな真面目に修行していたのなら、何かご褒美を買ってこないといけなかったなあ」
「いえいえ、お師匠様が用意されなくてもこちらからお出しするものがあります」
「はい、時節到来致しました」
「うー時節が到来したか・・・・」
心の中では
「何やっとるんじゃ!」
となっていたが、そんなことは言えないように一休にもっていかれました。
「どんなに大事にしていてもでしょうか?」
「悟りというものですね」と。

では心の中も静かだったか?
そんなはずはありません。
お師匠様は諸行無常ということは知っています。

しかし分かっていないから腹が立ったりします。
だから知っているのと
分かっているのは全然違います。
だから全てのものは無常だと、聞いて
「ああ、分かっている」
と簡単に言うのは、浅いのです。
本当に分かっている人は
「ああ、その通りだが、なかなか思えないな。
死ぬとは思えないな」
明日は死なない。
ということは永遠に死なない、という心です。

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